ダウンタウン

ダウンタウン

プロフィール

読み:だうんたうん

結成年月:1982年

出身/入社/入門:大阪NSC1期生

メンバー

松本 人志(まつもと ひとし) 左

性別:男性
生年月日:1963年9月8日
身長/体重:172cm / 67kg
血液型:B型
出身地:兵庫県 尼崎市
趣味:ビリヤード
出身/入社/入門:NSC大阪校1期生

浜田 雅功(はまだ まさとし) 右

性別:男性
生年月日:1963年5月11日
身長/体重:165cm / 50kg
血液型:A型
出身地:兵庫県 尼崎市
趣味:野球、ゴルフ
出身/入社/入門:NSC大阪校1期生

コンビについて

結成秘話

松本人志さんと浜田雅功さんの出会いは、小学校からの友人関係がきっかけでした。松本さんには当時「イトウくん」という親友がいて、もともとは彼と漫才をしていたそうです。ところが、中学に進学すると浜田さんとも仲良くなり、イトウくんを交えた数人で遊ぶ日々が始まります。そんなある日、親友2人が突然けんかを始めてしまいました。仲裁をためらう松本さんに、浜田さんが声をかけます――「まっつん、行こう」。この一言が2人の距離をぐっと近づけました。

その後、浜田さんが「うめだ花月」の前で見つけたNSC開校の看板が運命を大きく動かします。願書を手にした浜田さんは「こんなんあるけど行かへん?」と松本さんを誘いました。実は松本さん、当初は「松竹のほうが逆にカッコいい」と思っており、吉本ではなく松竹を志望していたそうです。しかし最終的には浜田さんの言葉に折れて、2人で吉本に入学することを決意。こうしてダウンタウンは誕生しました。

ダウンタウン コンビ名の由来

ダウンタウンは、結成当初から現在の名前に落ち着くまで、実に5回も改名を経験しました。

1. 松本・浜田

最初はシンプルに2人の苗字をつなげた「松本・浜田」。特にこだわりはなく、とりあえずの名前として活動していました。

2. まさし・ひとし

次に与えられたのが「まさし・ひとし」。当時は芸名に“し”が付くと売れるというジンクスがあり、それにあやかって付けられました。ただし本人たちは全く気に入らず、自分たちで名乗ったことはなかったといいます。

3. 青空てるお・はるお

「暗いイメージだから名前だけでも明るくしろ」という大人の意向で勝手に付けられた名前。松本さん曰く「“はるお”を浜田さんと取り合いした記憶がある」とのことですが、やはり気に入らず…。

4. ライト兄弟

その後、横山やすし師匠が飛行機好きという理由だけで付けたのが「ライト兄弟」。本人たちはまたも納得いかず、短期間で消滅しました。

5. まさと&ひとし

「ダウンタウン」に改名する直前に一瞬だけ使われた名前。詳細な由来は不明ですが、浜田さんの名前が本名に寄せられ、多少は本人たちの意思が反映されたのではと考えられています。

6. ダウンタウン

そして最終的に辿り着いたのが「ダウンタウン」。由来はとてもシンプルで、「考えすぎるのはやめよう」と喫茶店で週刊誌をペラペラめくり、「指で押さえた場所をコンビ名にしよう」と決めた結果、そこに書かれていた言葉が“ダウンタウン”だったのです。特別な意味はありませんでしたが、当時としては新鮮でおしゃれな響きがあり、偶然にもスターにふさわしい名前となりました。

こうして数々の改名を経て、1982年、NSC1期生として入学した松本人志さんと浜田雅功さんは「ダウンタウン」として活動を始めます。本名で活動したのも珍しい時代でしたが、2人の新しい笑いは瞬く間に若者の心をつかみ、やがて日本中に“ダウンタウン旋風”を巻き起こすことになりました。

各種SNS

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経歴

ダウンタウン(松本人志・浜田雅功)は、共に兵庫県尼崎市出身。尼崎市立潮小学校・大成中学校の同級生として出会い、中学時代から交流を深めた。高校は別々に進学したが、1982年に浜田が吉本総合芸能学院(NSC)の1期生募集のチラシを見つけ、松本を誘ったことがきっかけで同年4月4日、NSCに入学した。

入学わずか2か月後、『素人名人会』で名人賞を獲得し、翌月には『今宮子供えびすマンザイ新人コンクール』で福笑い大賞を受賞。その後も数々のコンクールで結果を残し、在学生ながら「なんば花月」に特別出演するなど、異例の早さで注目を浴びていった。

1983年には同期のハイヒールらと共にコントライブ「ごんたくれ」を開催し、後の心斎橋筋2丁目劇場の原型を作る。コンビ名は「松本・浜田」「まさし・ひとし」など何度も変遷したが、1983年5月に「ダウンタウン」として正式に決定。同年6月には「なんば花月」に初出演した。

1984年には『NHK上方漫才コンテスト』で優秀賞、『ABC漫才・落語新人コンクール』では最優秀新人賞を受賞。若年層向けの舞台を作ろうと動いたマネージャー・大﨑洋の働きかけで、1984年7月から大阪・心斎橋の南海ホールで「心斎橋筋2丁目劇場」を定期開催。ここで若手芸人たちと共に新しい笑いを発信し、多くの若者から絶大な支持を得た。

1987年、『4時ですよーだ』(毎日放送)のMCに抜擢されると人気が爆発。女性ファンを中心に社会現象を巻き起こし、写真集やCDも発売されるほどだった。1988年にはフジテレビ系『夢で逢えたら』に出演し、東京でも存在感を放ち始める。

1989年、正式に東京進出。『笑っていいとも!』や『ガキの使いやあらへんで!』に出演し、1991年には『ごっつええ感じ』がスタート。シュールなコントで全国的人気を確立し、1990年代を代表する芸人となった。『ダウンタウンDX』や『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』といった長寿番組もこの時期に始まっている。

個人活動としても、浜田は俳優・歌手として活動し、1995年には小室哲哉とのユニット「H Jungle with t」で大ヒットを記録。一方の松本は単独ライブやエッセイ本『遺書』『松本』を発表し、文化人としても大きな影響を与えた。

2000年代以降も数々の番組でMCを務め、2014年には『笑っていいとも!』最終回でとんねるずや爆笑問題、ウンナンらライバルと共演。2022年には「なんばグランド花月」で31年ぶりの漫才を披露するなど、節目ごとに大きな話題を提供してきた。

そして2025年11月には、独自の有料配信サービス『DOWNTOWN+』を開始予定。結成から40年以上経った今なお、日本のお笑い界のトップランナーとして走り続けている。

実績

  • 1982年毎日放送『素人名人会』 名人賞
  • 1982年第3回 今宮こどもえびす新人漫才コンクール 福笑い大賞
  • 1982年フジテレビ『笑ってる場合ですよ!』 お笑い君こそスターだ! 第32代チャンピオン
  • 1984年第5回 ABC漫才・落語新人コンクール 漫才の部 最優秀新人賞
  • 1984年第14回 NHK上方漫才コンテスト 優秀賞
  • 1985年第2回 花月大賞 花月新人賞
  • 1986年第21回 上方漫才大賞 新人奨励賞
  • 1987年第15回 日本放送演芸大賞 ホープ賞
  • 1987年第15回 日本放送演芸大賞 最優秀ホープ賞
  • 1987年第22回 上方漫才大賞 奨励賞
  • 1987年第7回 花王名人大賞 最優秀新人賞
  • 1988年第23回 上方漫才大賞 奨励賞
  • 1989年第24回 上方漫才大賞 大賞

年表

年月日出来事
1982年コンビ結成
1983年「4時ですよーだ」出演開始、大阪で人気を博す
1989年東京進出、「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」放送開始
1991年「ダウンタウンのごっつええ感じ」放送開始
1993年「ダウンタウンDX」放送開始
1994年「HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP」放送開始
2000年代「ガキの使い 年末笑ってはいけないシリーズ」が国民的番組に成長
2020年「笑ってはいけない」シリーズ放送終了

出演番組

レギュラー

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