陣内智則

陣内智則

プロフィール

読み:じんないとものり

性別:男性

生年月日:1974年02月22日

身長/体重:167cm /58kg

血液型:O型

出身地:兵庫県 加古川市

趣味:野球観戦/ゴルフ

出身/入社/入門:1992年 NSC大阪校 11期生

陣内智則のデビュー秘話

高校の同級生・西口圭と共にNSC大阪校へ入学した陣内智則。二人は在学中にお笑いコンビ「リミテッド」を結成した。このコンビ名は、本来「限界」という意味で付けたつもりだったが、陣内が「limit」と「limited」を勘違いして命名したもので、実際には「制限された」「わずかな」という意味だった。本人がその誤りに気づいたのは、すでに活動を始めた後だったという。

NSC時代、陣内は祖父の知り合いが営む寿司店「小鯛雀鮨鮨萬」でアルバイトをするつもりが、誤って正社員として働くことになり、早朝4時から皿洗いや仕込みを行うという過酷な生活を送っていた。それでも学業とお笑いの両立を続け、「NSCアマチュア大賞」でグランプリを獲得するなど、当時から頭角を現し始めていた。

卒業後は「リミテッド」として心斎橋筋2丁目劇場を拠点に活動を開始。しかし評判は厳しく、「2丁目で一番おもんないコンビ」「見たら不幸になるコンビ」と揶揄されるなど、苦しい時代が続いた。舞台に立つと観客が顔を伏せたり、番組出演時に台風情報が重なったりと“不運伝説”までつくほどであった。

そんな中、相方の意欲のなさに業を煮やした陣内は、西口との喧嘩を機にコンビ解散を決意。以降、ピン芸人としての活動を余儀なくされる。しかし当初は思うように仕事が増えず、所属劇場の出演枠から外されることもあった。

転機は1996年の『オールザッツ漫才』(毎日放送)で訪れる。本来出場予定だった芸人が失踪し、急遽ピンでの代役を任された陣内は、1人でセンターマイクの前に立ち、思いつくままに話をしたところ、意外にも大きな笑いを取った。これが陣内のピン芸スタイル確立のきっかけとなる。

さらに1997年、吉本から「次でスベったら芸人を辞めろ」と最後通告を受けた陣内は、追い詰められた中で偶然耳にした電車の車掌アナウンスの“変な言い回し”にツッコミを入れた瞬間、乗客が笑ったことから「映像や音声にツッコむネタ」という独自のスタイルを思いつく。

このひらめきから生まれた新ネタが舞台で大好評を博し、吉本の評価も一変。以降、テレビ出演が増え、陣内智則は“映像ツッコミ芸”という独自のスタイルで全国区の人気芸人へと躍り出た。

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